綺麗事で誤魔化すな!
本日8月9日未明丁度69年前、前日の「対日宣戦布告」を受けソ連軍が満ソ国境を越えました。まあ、仔細については諸氏等もご存じと思うので割愛させて戴きます。
それよりも今回取り上げたいのは当時に於ける日本の「インテリジェンス」に関して自分が思う処であります。
<ヤルタ密約「ソ連の対日参戦」、独は情報共有、日本は抹殺し侵攻招く 諜報力の違い鮮明>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140805/plc14080508020006-n1.htm
<一部転載>
作家で元外務省分析官の佐藤優氏の話 「崩壊直前ながら、ドイツはインテリジェンス・サイクルが回り、しっかりした分析、情報共有ができていたのに対し、参戦を決めていたソ連に仲介和平の望みを託した日本は、目前の和平工作で頭がいっぱいになり、ソ連参戦情報をノイズ(雑音)と受け止め、抹殺したのだろう。日本は国家として情報を分析、判断する能力が低かった。日本版NSCが発足した今、良き教訓となる」と語っている。
<転載了>
<一級情報捨て偽装妄信…諜報分析に欠けた日本、野望見抜けず世界から孤立>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140805/plc14080516000016-n1.htm
<一部転載>
1945(昭和20)年2月のヤルタ会談でソ連が対日参戦を最終的に密約した情報は、日本同様に敗色濃厚だったドイツにとっても第一級だった。ソ連軍の反攻で首都ベルリンが風前の灯となっていたからだ。このためドイツは、ストックホルム駐在の小野寺信(まこと)陸軍武官からもたらされたとみられるこの情報を政府内や在外公館で一斉に共有した。
<■小野寺情報 ストックホルム駐在陸軍武官の小野寺信はロンドンの亡命ポーランド参謀本部から、ヤルタ会談でソ連がドイツ降伏3カ月後に対日参戦する密約を交わした情報を入手。1945(昭和20)年2月中旬ごろ、参謀本部あてに緊急電で伝えるが、ソ連仲介和平工作に埋没して抹殺され、国策に生かされず、半年後、ソ連の侵攻を招いた。>
ところが、小野寺武官からの情報は、日本の中枢にとって「不都合な真実」だった。終戦工作の頼みの綱に考えたのが中立条約があったソ連だったためだ。
<転載了>
まあそれは良い、抑々人は失敗する生き物だからな。だが許せないのは外交の失態を綺麗事で誤魔化そうとした当時の日本政府と軍上層部である!何が「騙し討ち」か!単に知っていて何ら打つべき手を打たなかっただけではないか!!自らの失態を棚に上げて何をか況んや、だ。ここでも嘗て「スペンサー卿」が宣わった言葉「国家に永遠の敵も友人も存在しない。あるのは“国益”、ただそれだけだ」が証明された。
斯くして戦後69年間、この教訓は生かされる事無く日本外交は相も変わらず思い込みと性善説に支配され国益を毀損し続け現在に至る。実際真っ当な外交が出来る様になったのは第2次安倍内閣が発足してからだ。
両者共に産経新聞の記事ですが実に興味深い話です。まあ、戦後69年間自分も含め日本国民は事実を直視してこなかったと言う事を今更ながら思い知らされました。
結局当時も「建前」に縋り付き「大局」を見誤ると言う文字通り本末転倒と断じるより他は無い愚行を行ってきたのだ。当然現在に至までの日本外交も然り、言わば安倍首相はその「ツケ払い」をしているに過ぎない。
今後「日本版NSC」がこの教訓を生かしていけるかどうか、これが日本外交の帰趨を決するのは言うまでも無い。過去は覆せないが未来は現在の努力によって如何様にでも変わるからだ。
最後に同じく本日、米国による2度目の核兵器テロの犠牲となった長崎市民73,884人の方々のご冥福を衷心より祈念させて戴きます。
それよりも今回取り上げたいのは当時に於ける日本の「インテリジェンス」に関して自分が思う処であります。
<ヤルタ密約「ソ連の対日参戦」、独は情報共有、日本は抹殺し侵攻招く 諜報力の違い鮮明>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140805/plc14080508020006-n1.htm
<一部転載>
作家で元外務省分析官の佐藤優氏の話 「崩壊直前ながら、ドイツはインテリジェンス・サイクルが回り、しっかりした分析、情報共有ができていたのに対し、参戦を決めていたソ連に仲介和平の望みを託した日本は、目前の和平工作で頭がいっぱいになり、ソ連参戦情報をノイズ(雑音)と受け止め、抹殺したのだろう。日本は国家として情報を分析、判断する能力が低かった。日本版NSCが発足した今、良き教訓となる」と語っている。
<転載了>
<一級情報捨て偽装妄信…諜報分析に欠けた日本、野望見抜けず世界から孤立>
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140805/plc14080516000016-n1.htm
<一部転載>
1945(昭和20)年2月のヤルタ会談でソ連が対日参戦を最終的に密約した情報は、日本同様に敗色濃厚だったドイツにとっても第一級だった。ソ連軍の反攻で首都ベルリンが風前の灯となっていたからだ。このためドイツは、ストックホルム駐在の小野寺信(まこと)陸軍武官からもたらされたとみられるこの情報を政府内や在外公館で一斉に共有した。
<■小野寺情報 ストックホルム駐在陸軍武官の小野寺信はロンドンの亡命ポーランド参謀本部から、ヤルタ会談でソ連がドイツ降伏3カ月後に対日参戦する密約を交わした情報を入手。1945(昭和20)年2月中旬ごろ、参謀本部あてに緊急電で伝えるが、ソ連仲介和平工作に埋没して抹殺され、国策に生かされず、半年後、ソ連の侵攻を招いた。>
ところが、小野寺武官からの情報は、日本の中枢にとって「不都合な真実」だった。終戦工作の頼みの綱に考えたのが中立条約があったソ連だったためだ。
<転載了>
まあそれは良い、抑々人は失敗する生き物だからな。だが許せないのは外交の失態を綺麗事で誤魔化そうとした当時の日本政府と軍上層部である!何が「騙し討ち」か!単に知っていて何ら打つべき手を打たなかっただけではないか!!自らの失態を棚に上げて何をか況んや、だ。ここでも嘗て「スペンサー卿」が宣わった言葉「国家に永遠の敵も友人も存在しない。あるのは“国益”、ただそれだけだ」が証明された。
斯くして戦後69年間、この教訓は生かされる事無く日本外交は相も変わらず思い込みと性善説に支配され国益を毀損し続け現在に至る。実際真っ当な外交が出来る様になったのは第2次安倍内閣が発足してからだ。
両者共に産経新聞の記事ですが実に興味深い話です。まあ、戦後69年間自分も含め日本国民は事実を直視してこなかったと言う事を今更ながら思い知らされました。
結局当時も「建前」に縋り付き「大局」を見誤ると言う文字通り本末転倒と断じるより他は無い愚行を行ってきたのだ。当然現在に至までの日本外交も然り、言わば安倍首相はその「ツケ払い」をしているに過ぎない。
今後「日本版NSC」がこの教訓を生かしていけるかどうか、これが日本外交の帰趨を決するのは言うまでも無い。過去は覆せないが未来は現在の努力によって如何様にでも変わるからだ。
最後に同じく本日、米国による2度目の核兵器テロの犠牲となった長崎市民73,884人の方々のご冥福を衷心より祈念させて戴きます。
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